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Your search : [ author:李敬寅 え·趙国経] Total 10 Search Results,Processed in 0.094 second(s)
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1. 彩色陶俑
俗に、運が向いているときは何事も思いのままというが、鑼鼓村の王五(ワンウー)おやじは、このところ全くつきが回ってきて、道を歩くときでさえ忍び笑いをしているのだ。せんだって、息子が結婚相手をみつけた。県の劇団の娘役スターだ。息子にカラーテレビやらなにやかや買ってやらねばと思案はするが、なにしろそういうものは、まるでヘリコプター式に千元台のがあっというまに三千元台に急騰している。それで悩んでいるときも
Author: 李敬寅 え·趙国経 Year 1990 Issue 1 PDF HTML
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2. 新居
前の晩窓から見える月はもう西にまわり、まもなく近くの広葉樹の林に沈もうとしている。ひるま騒々しかったこの一角も、いまは静まりかえって、たまに隣の喬さんの家で、小さい孫が、夢でも見たのかむずかる声がする。塀の外の道路をトラックが通って行く。あれは清掃局のごみ収集車だから、もう明け方近いのだ。街灯の黄色い光が窓から入ってくる低い小さな部屋で、眠れない大勇は寝返りばかりしている。十数平方メートルほどしか
Author: 徐恒進 え·趙国経 Year 1983 Issue 8 PDF HTML
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3. 雪の朝
となりの部屋でコトコト小さい物音がするのを夢うつつに聞いて、副省長(副知事)は目をさました。山の町の、小さな家の中に、なつかしいにおいが漂っている。ニューヨークやロサンゼルスや、ワシントンの、豪華なホテルで感じた、慣れない強いにおいともちがうし、北京のホテルでよく使っている優雅な香のかおりともちがう。いま自分が住んでいる市のアパート式独身者住宅の、書斎のそれとも全くちがう。飯を炊いたり料理を作った
Author: え·趙国経 湯吉夫 Year 1984 Issue 9 PDF HTML
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4. 明姑娘(ミンクーニヤン)(上)
一羽毛のような雪が降りしきる川岸の公園で、ベンチに腰かけて身動きもしない男がいた。大雪で道も川もとざされ、町は銀世界、誰もいない公園で男はもう一時間以上もじっとしている。頭も肩も真っ白になり、なかば埋もれた靴に雪が入りこんで、足の感覚もなくなっているのに動こうとしない。周囲の白一色の世界は男には見えない。美しい光も色もはるかな記憶と想像の中だ。目の前にあるのは、深い闇だけ。この男は失明しているのだ
Author: 航鷹 え·趙国経 Year 1985 Issue 8 PDF HTML
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5. 明姑娘(ミンクーニヤン)(中)
三夜間大学の文科系に編入してほしいという、二人の希望は校長を驚かせた。校長はじきじきに会って、多くのハンデがあることを、一つ一つ例を挙げて説明した。黒板が見えなくては講義が分かりにくいだろうし、筆記試験のときも困るだろうともいったが、明明(ミンミン)は「わたしたちは聞いて憶えます。録音して、家で復習もします。試験も口答試問にして頂ければ……」と校長に言った。若い二人の向学心に動かされた校長は、その
Author: え·趙国経 航鷹 Year 1985 Issue 9 PDF HTML
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6. 父の退職
父が退職した。それに伴い小ぢんまりした二階建ての家が、老後をすごすために、勤めていた役所のほうで用意された。古くから革命に参加した人たちが退職する場合、規定があって、いろいろな優遇措置がとられる。住宅のこともその一つだ。うちのきょうだいは、それぞれ寮や社宅で暮らしていたが、このときになって父は、皆でいっしょに住もうといい出した。ふと、三代同居の伝統思想の支配下にまた入ってしまったのだ。まず兄の一家
Author: 苗月 え 趙国経 Year 1987 Issue 7 PDF HTML
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7. 山の子
五年前、山(シヤン)とよばれる男が、十元の札きっちり二百枚ナリを先方の母親に渡して、菊児(ジユイアル)という美しい娘をよその村からめとった[注释1]。ところが結婚五カ月で、菊児が女の子を生んでしまった[注释2]。だまされたと知った男は、がっくりするやら、怒るやら。それ以後、男はもう二度と、以前のように菊児を可愛いとは思わなくなった。二人はなにかといえば、けんか口論。この家に一日として平和な日はない
Author: 蕭程 え·趙国経 Year 1988 Issue 12 PDF HTML
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8. ラオムー
「どうかお体大事に」 ラオムーは、処長の手を握りながら言った。「うん、分かった」 処長はゆっくりと返事をする。握手していた手が解かれると、もうラオムーには返す言葉がないように思えるのだった。―なんてことだ。きょうこんな役回りがこともあろうにわたしに回されてくるなんて。処長が出張するのに、なにも必ず部下が送らなければならないということでもなかろうに。わたしでなくちゃならないということでもあるまいに。
Author: 呉金良 え·趙国経 Year 1989 Issue 4 PDF HTML
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9. 生命は運動にあり
応おばあさんは「体いくつになるのか、隣り近所の人たちははっきり知らないけれど、何年か前に膝関節のリューマチを患って歩くのが困難になり、それで仕事をやめ休養していることは誰でも知っていた。それでも、休養していれば歩行はそれだけ不自由になって、それに休養もできない、という応おばあさんの状況もみんなわかっていた。「おばあちゃん、ボク、学校行くよ。バイバイ1」「虎子、おなかいっぱいかい?」応おばあさんは杖
Author: 劉戦英え·趙国経 Year 1992 Issue 8 PDF HTML
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10. 明姑娘(ミンクーニヤン)(下)
五趙燦は人が変ったようになり、失明前より快活でよく話すようになった。工場では優秀な旋盤工であり、葉明明と共に教養科目を担当する教員であり、しばしば舞台に上って演奏する、民族楽器の奏者でもある。家では家事労働のベテランで、調理技術はコーチ役の明明を追いこした。洗濯はあまりしないが、それというのも、洗濯機を買ったからだ。明明と趙燦の毎週の日程は少しのひまもなく詰まっている。工場、夜間大学、復習、病院の
Author: 航鷹 え·趙国経 Year 1985 Issue 10 PDF HTML